親の面倒を見ない兄弟

優しすぎる毒親の精神病・・・

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うちの母は、
私にとても優しかったのです。

 

 

それは病的に思えるほど
優しいのです。

 

 

今考えたら、
それはやはり母は精神的な病
だったと思っています・・・

 

 

私の為に離婚しない母

 

 

父は浮気性で、
酒乱のろくでなしでした。

 

 

母はいつも殴られていましたが、
じっと我慢していました。

 

 

私が止めに入った時にも、
父が殴ろうとして、
母がかばってくれました。

 

 

母はその時に耳の鼓膜がやぶれ、
口の中も切って血だらけになりました。

 

 

ダラダラと血を垂らしながら、
笑顔で私に「大丈夫だからね」と
声をかけてくれました。

 

 

そんな母の口癖は
「お前のために離婚できない」
でした。

 

 

母にとっては優しさだったのかも
しれませんが、私にとっては
とても重い言葉でした。

 

 

ですが結局、

 

父は母と私を残して失踪してしまい

 

ました。

 

 

その後、母は仕事を掛け持ちして、

 

私の教育費や生活費を捻出してくれました。

 

 

母のやさしさがエスカレートする

 

 

そして、今度は・・・

 

「お前が立派になることが、
たったひとつの望みなんだよ」と、

 

繰り返し言いました。

 

 

 

母は私のために美容院には行かず、
長い髪を時々自分で切りそろえていました。

 

 

化粧品は口紅すら買いません。
「お前にお金がかかるからね」と言います。

 

 

父方の祖父母が見かねて援助を
申し出てくれたのですが・・・

 

 

「お前を祖父母に渡すわけにはいかない」
と父方の親戚とは絶縁状態です。

 

 

そして、母は仕事が忙しくて、
料理をつくれず、物心が付いた時は
いつもコンビニ商品が食事でした。

 

 

毎日欠かさずです。私が買いに行きます。

 

 

お金をくれる時に必ず母は優しい声で
「お前が食べたいものでいいのよ」
と言います。

 

 

ですが、
こういわれると私は苦しくて苦しくて
泣きたい気持ちになるのでした。

 

 

でも、
この息苦しさは大人になるまで
誰にも説明できませんでした。

 

 

母はすべてが、
私のための生活なのです。

 

 

母は毒親だったと気が付く

 

 

その後、
高校卒業後に就職した職場で、
「毒親」という話題を聞きました。

 

 

胸のつかえがとれる思いでした。
私が探していた、誰かに説明したい言葉でした。

 

 

母は正しくて、
正しい母を疎ましく思う私が
正しくないのだと、悩みつづけていたからです。

 

 

思い切って一人暮らしを始めたあと、
母は目にみえて、精神を患うようになりました。

 

 

近所の噂話に上るほどになったのです。

 

 

「苦労したものね」と、
親族は母に同情を寄せます。

 

 

ですが私は、
「毒親」の話をしてくれた先輩の
アドバイス通り母のいる実家には
戻りませんでした。

 

 

それというのも、
あれほど私は子供時代に
貧乏な生活を強いられていたにも
関わらず・・・

 

 

実際には、
母には実家の両親から受け継いだ
多額の資産がありました。

 

 

そのお金は一切、
手をつけていなかったのです。

 

 

つまり苦労している自分を、
周りから褒めてもらいたかったのでしょう。

 

 

でも、そのお金で、
心身ともに年老いた母を
立派な介護施設に入居させることが
できました。

 

 

ずっとずっと昔から、
母は精神的な病気だったのだと、
今の私なら分かります。

 

 

母のやさしさは
私の事を本当に思っての
優しさではなく・・・

 

 

母の病的な自己愛の
延長線上にあるものだと
気が付きました。

 

 

そして今私は、
ありのままの私でいいんだと
思いました。

 

 

私も、ほかの誰でも、
母が言うような正しさがなくても
大丈夫なんだと思いました。

 

 

長い年月を無駄にした気がします。

 

 

でも、
あの優しい母を完全に見捨てる事が
できないと感じている私もいます。

 

 

私はやはり優しさ母はに教わりました。

 

 

精神疾患患者でも入れる
老人ホームに入れるなどで
距離を取りながらでも・・・

 

 

高齢になってゆく毒母の
面倒は見てゆきたいと思っています。